断酒を通じて人生大復活

断酒をして丁寧に生きる

これまで何度か挑戦しては失敗した断酒に再度挑戦!!40歳も半ばになり、再起をかけるべくまずその第一歩として断酒に挑戦します。

ノンアルビール

断酒会25日目になりました。

先輩方のブログを見てるとノンアルビールには否定的な意見が多いですが、今の所自分はノンアルビールにはソコソコお世話になってます。飲酒欲求は否定出来ませんが、これ飲むとスーッと消えていくので時折飲んです。

ちなみに、炭酸水は昼間でもかなり常飲してます。

それと最近は甘いものに対しての欲求が俄然増してきました。飲酒時代にはほとんど見向きもしませんでしたが、この断酒中に食べる甘いものって、ホント美味しいんですよね。
これも癖になると、自分の場合は倦怠感が激しく増すので、要注意してます。

会社が始まりましたが、途端に夜に中途覚醒するようになりました、何かストレス感じてるのですかね。



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断酒の効果

断酒23日目です。

断酒して最も感じる大きな効果は体力、エネルギーの充実感ではないかと感じてます。
飲酒中は何か酒に毒されていたというか、子供と遊ぶにしても全力で遊べず、どこか疲れているのです。それが断酒してからは子供とも全力で遊ぶことが出来、それを見た妻も(多少)機嫌が良くなるという効果が生まれてます。

やはり体の臓器でも重要な肝臓をアルコールの処理に使わなずに済んでいる事が大きいと思います。その分普段の、本来のあるべき働きをするために気力、体力がみなぎるのでしょう。断酒していると早朝の有酸素運動も余裕で朝から全開の体力でこなす事ができます。
飲酒中は朝起きるだけでもシンドかったですからね。

正直酒はまだ体が忘れておらず、飲酒欲求は残ってますが、ゴールデンウィークも断酒を継続してます。



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断酒17日目

気持ちの良い天気が続いています。

暑くもなく、寒くもなく、こんな日は日中子供達と汗ばむくらいに遊んで夕方から飲み始めるビールがとても美味く感じたものです。

そこで、飲酒欲求がフツフツと湧いてきました。それは強烈ではなくとも、あ〜、こんな日にビール飲んだら美味いだろうなぁ、という淡い、でもしっかりとしたものです。

そこで、断酒開始から初めてノンアルコールビールに助けを求めてみました。アサヒのドライのやつです。
ま、何ともならないだろうなぁ、と思って飲んだら結構どころか、かなりイケる味なのです。それを飲んでスッカリ飲酒欲求は消え失せてしまいました。

ところで今JALの機内ですが、あちらこちらにビールやらワインの広告がある一方、ノンアルコールビールの広告もあります。俳優の筧利夫さんが出ているものです。
その筧さんのコメントですが、「休日に昼からXXX飲むっていいですよ。ビール感覚で楽しめてお茶や水よりも断然気分上がるし。酔わないから、午後もアクティブで充実した1日をすごせます。(以下省略)」

自分としては、ビールからの格下げ(?)でノンアルコールビールがあるのですが、お茶、水からの格上げでノンアルコールビールって考えたこと無かったです。ある意味チョット新鮮に感じました。もちろん広告用のコメントでしょうが、うまく考えるものですね。



アルコールに依存するようになった経緯

自分は思えば20代は飲み会の時だけガーっと飲む全くの機会飲酒系でした。
飲む量は多かったと思いますが、その頃はブラックアウト等も全くあり得ず、ある意味若さを武器に飲みまくってました。ただ、一人で飲んだり、酒を純粋に楽しむようなことはなく、アルコール依存の気配はほとんどなかったと思います。飲み会がなければ酒は普通に抜いてました。

30代の半ば頃からでしょうか?なぜか下町居酒屋が琴線に触れて自分の中でブームとなりました。週末には下町に赴いて古典居酒屋を巡ったりしたものです。

ちょうどこの頃から仕事上の強烈なストレスも抱えるようになりました。仕事もかなりの激務で、毎日電車では帰宅出来ず、夜も12時を回ります。そうするとそのまま帰るのは何故か口惜しく、そこから同僚と飲みに行く毎日です。終わるのは当然のごとく午前2ー3時になり、そこから帰宅してまた翌朝は普通に出勤です。いまから考えると単にゆっくりと自殺しているような生き方ですが、当時はまだ若かったせいもありますが、何とかなってました。これをほぼ毎日繰り返してましたので、かなり異常というか、単なるアホでしょう。

そして30代も後半になると時折ブラックアウトするようになります。40代にもなるとその頻度が増え、数ヶ月に一回はブラックアウトし、何より飲酒時の記憶力がどんどん低下していることに気づきました。ま、これは私だけではありませんでしたが、翌朝飲んだ仲間で何軒行ったか確認し合うこともしばしばありました。皆どうしようもないですね。。。

翌朝ベッドで目が覚めて、どうやって帰ってきた覚えていないことは頻繁にありましたが、それも慣れてくると酔っている自分に変な信頼を持つようになり、「酔っても何とか帰ってこれるだろう」と思っていたものです。事故や警察沙汰になっていないだけラッキーです。

そんなこんなで、ここ2ー3年は特に飲んだ翌日の気分の鬱レベルが半端なく、こんな思いをするくらいであれば断酒を決断した次第です。

今日で断酒13日目になりました。



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断酒の理由

断酒12日目になりました。

断酒するに至った気持ちを定期的にブログに書いて肝に銘じたいと思います。

今後、何度でも記載して忘れないようにしなければいけません。過去に過度に飲酒・痛飲し、翌朝のセロトニンが完全に枯渇したあの最低最悪な感情を二度としたくないがためです。

前夜の飲み会、パーティはタカが外れて水のように酒を飲みまくります。どんどんセロトニンドーパミンが強制放出されて、テンションも上がりまくり、それに伴い酒量もどんどん増えます。(ただ、専門書によるとアルコール依存者はドーパミンが分泌されず、結果、酔ったとは認識せずに何時までも飲み続け、テンションが上がる前に突然泥酔する、と書いてありました)。

結果、翌朝は本来持ち合わせているレベル以上に使用してしまったセロトニン不足に悩まされ、この世から消えてしまいたいと思うレベルです。急性鬱病とでもいう感じでしょうか?

普通の人ではここまで思うことはないのでしょうが、自分はあきらかに他人より普段からセロトニンが不足していると思え、本当にとんでもない精神状態に陥り、ほとんど生きた屍状態です。

それと、なぜか飲酒時代は(とはいってもつい先日までの話です)なぜか子供と遊ぶことが微妙に億劫で、もちろん二日酔いの時などはほとんど遊んでいるフリです。

要は子供と遊んでも楽しいと感じることが出来ず、義務的に遊んでいる自分がいます。敏感な子供は察していると多いますが、子供もかわいそうです。そんな自分も正直好きではありません。子供とは心ゆくから楽しんで遊んであげたいものです。

ところが、これ酒を飲んでいないと、力がみなぎるというか、体力に余裕が生じるためか否か、子供と全力で遊ぶことが出来るのです。親として少しは子供のためにしてあげられているかな、という若干の自己満足も感じることができます。

こんな点も断酒を継続するモチベーションの一つになってます。

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断酒11日目

断酒は11日目になりました。昨晩は夢で何度か飲みそうになりました。飲酒欲求、十分残ってます。

多分、昼間に見た雑誌でヨーロッパの自然の中で飲むワインが非常に絵になっており、其れが深層心理に働いていたのでは無いかと思います。自分の場合はアルコールそのものもそうですが、酒場に対する強い欲求があるのです。精神的に疲れた時などは、落ち着ける居酒屋で一人でボケーっと杯を傾けるのがとても精神的に落ち着くのです。極論すれば酒無しでもそのような酒場でノンビリ出来るのであれば、満足する自分がいるのかもしれません。。。。いや、それは止めておきましょう、そのような状況になって耐えられるとは思いません。


ところで、自分はアルコールを意図的に飲まない人に対しては、率直にカッコいい、と思ってしまいます。

自分に甘い私はこれまでアルコールを存分に飲んでいましたが、そのようなストイックさが少しでも欲しいです。

イチローもしかり、やはりストイックな人間はカッコいいですね。年齢に関係なく、目標に向かってひたむきに努力し続ける人間は尊敬します。

もちろん、自分のような40半ばのオッサンが酒飲まないからと言って誰も「カッコいい」などとは思わずに歯牙にも掛からないですけどね。
これは自分のモチベーション維持のために、カッコいい、と自己イメージを維持していくべきもので、全ては自分の心身の健康のためですしね。

酒を飲まないだけではなく、そのうえで時間を有意義に使って自己啓発、改善に挑みたいものです。

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上機嫌

昨日のブログで少し触れた斎藤一人さんの本を読みました。
タイトルは、「すべてがうまくいく上機嫌の魔法」です。

1時間もあればさらっと読める分量です。

この本を要約すると以下の感じです。

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  • 上機嫌の人にだけ奇跡が起きる。斎藤一人さんもイヤなことなんで山ほどあるが、自分の意思で上機嫌の方向に持っていってる。
  • 不機嫌は感情のままに生きている結果。それに対して上機嫌は自分の意思。

  • 斎藤一人さんは、ずっと昔からどんなことがあっても上機嫌でいるということを心掛けている、

  • 上機嫌にならない限り幸せにはなれない。

  • 幸せとはどんな状況でも、どんなことが起きても自分が幸せだと思っているかどうか。

  • 威張っている人は不機嫌。いつもイライラしており、自分はの心が満たされていない。自分より弱い人にいばることでその人からエネルギーを奪い、自己重要感をうめようとする。

  • 自分の中のエネルギーが足りなくなったら、自分で自分を褒めればいい。

  • 楽しいから笑顔になるんじゃない、楽しくなりたいから笑顔にするんです。

  • 礼儀と微笑みを絶やさない人は幸せになる。

  • 心配そうな顔、人を睨みつけるような態度とか、人を不快にさせるような態度を取りながら幸せにははなれない。

  • 自分のことばかりで、周りの人の気持ち、心に気が回らない、それは礼儀違反。

  • イヤなことがあったからと、みんなが楽しくしている場でそれを話すのも礼儀違反。

  • ささいなことでも幸せだと思って感謝して、「今日最高ですね」って言ってると、最高の幸せがまた次に来る。

  • ありもしないことを想像するのはやめましょう。不幸というのは考えれば考えるほど、どんなことでも想定できる。

  • 自分の今の状況や、今自分に起こっていること、なんでも「幸せ、幸せ」と言っていれば、最高に幸せになる。日本に生まれただけで幸せなんです。

  • 幸せがあるのに、「不幸だ、不幸だ」って言ってると、ろくでもないことを引き寄せる。

  • 不幸なことを考えそうになったら、なんでもいいから笑えることを考えるようにするとか。

  • 不機嫌な人は心の中に焦りがある。そういう人は知らないうちに、人と何かを常に比べて、ここの中で自信を無くしている。

  • 仕事が欲しければとびきり上機嫌でいる。上機嫌でいると、かならず押し上げてくれる人が出てくる。出世というのは人に押し上げられるもの。同僚の心を明るくするような言葉を話して、自分にいいアイディアが出たら、惜しみなく周りの人に教えてあげる。

  • 実務能力が高くても不機嫌な態度を取っている人は周りが敵だらけ。

  • 自分が不幸だと思っている人は人を幸せにはできない。だからまず自分が幸せになること。

  • 不幸な人は不幸そうな顔をしている、不幸なことを言う。不幸な人が「誰かに助けてほしい」と思っても、助かることはない。逆に「困っている人を助けたい」と思ったときに、困った状態から抜けられる。
  • 感情のままに生きていれば、上機嫌の日など年に1日しかない、幸せになりたかったらまず自分が「上機嫌」でいるべき。不幸な出来事が起きてもそれを全て上機嫌に変えるべき。

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集約すると、良い人生にしたければまず身近な幸せに気付くべき、もしくはイヤなことがあっても幸せを感じる方向に転換しろ、そして常に上機嫌たれ。不機嫌は悪い結果しか招かない、という感じでしょうか。

以前読んだ、フランス人哲学者アランが書いた「幸福論」という書籍にも同じような章がありました。これは1925年前後に書かれたものですが、上機嫌でいることはやはり自らの意思に基づくものであり、上機嫌いることで何でも解決できる、といった主旨です。

両者共に一言、ポジティブ心理といえばその通りです。

今の自分は正直にいって「不機嫌」に分類されてしまうでしょう。ただし、もちろん人生に常にそうであった訳ではありません。
そういう上がり目の時には上機嫌でいることは何ら難しくないのでしょうが、真価を問われるのは逆境の状況下、どこまで自らの強い意思で上機嫌を保てるか、なのでしょうね。

読んだだけでは意味が無いので、後は実践あるのみですね。

断酒も一週間になりました。

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